コーヒーにはどんな種類があるの?

コーヒーの種類はさまざま

コーヒーと一言でいっても、焙煎方法や飲み方は多種多様にあります。コーヒーの持つ効果を最大限に発揮させるためにもコーヒーの種類はあらかじめおさえておきましょう。ここでは、コーヒー豆の煎り具合やコーヒーの効果的な飲み方などを交えながら詳しく紹介していきます。

インスタントコーヒーよりも自家焙煎レギュラーコーヒー

最近のインスタントコーヒーは手軽に飲めるだけでなく味も美味しいので人気がありますが、鮮度の良さでは自家焙煎レギュラーコーヒーには敵いません。コーヒーは豆の煎り具合で味や香りだけでなくコーヒーに含まれているクロロゲン酸の量にも大きな違いが出ます。
焙煎の種類は細かく分けると8つ。うっすらと焦げ目がついた状態で香りやコクが不十分の「ライトロースト」やシナモン色でまだ青臭く飲料に適さない「シナモンロースト」は浅煎りと呼ばれる煎り方です。そこからもう一段階進んだ中煎りには茶褐色で軽い味わいでアメリカンとして飲まれている「ミディアムロースト」や喫茶店や家庭などでレギュラーコーヒーとして飲まれる「ハイロースト」があります。
喫茶店や家庭などでよく飲まれているのが深煎りといわれる焙煎方法です。深煎りは、もっとも標準的な炒り方でコーヒー豆がコーヒーブラウン色になる「シティロースト」やアイスコーヒーに向いている「フルシティロースト」、カフェオレやウィンナーコーヒーなどのヨーロピアンスタイルに向いている「フレンチロースト」、エスプレッソやカプチーノに使用されることが多い「イタリアンロースト」などがあります。
クロロゲン酸はポリフェノールとも呼ばれますが、生豆に多く含まれておりエイジングケアに大きな効果があるといわれています。そのため、クロロゲン酸を多く摂取したいなら浅煎りがおすすめですが、焙煎することでリラックス成分へ変化するため、リラックス効果を得たいのであればより焙煎した深煎りがおすすめです。

コーヒーの効果を発揮したいのであればブラックで!

コーヒーの効果を最大限に発揮できる飲み方は「ブラック」です。コーヒー独特の苦みが苦手で砂糖やクリームを入れてしまう人もいますが、コーヒー用クリームは「水と油を乳化剤で混ぜたミルク風のもの」なので体にいいとは言えません。余計なものが一切入っておらず、純粋にコーヒーの味が楽しめるブラックがおすすめです。とはいえ、いくらブラックがいいとは言っても空腹時にブラックを飲んでしまうと胃に負担がかかってしまい逆効果です。牛乳を注いでカフェオレにして胃を保護しながら飲みましょう。

エスプレッソはカフェインが少なめ

「カフェインが眠気対策に有効だから眠気覚ましにカフェインが多いエスプレッソを飲む」という人も多いのではないでしょうか。ですが、カフェインもクロロゲン酸同様、焙煎して深煎りになるほど含有量は少なくなっていきます。カフェインが多いように思われているエスプレッソですが、実はそれほどカフェインは含まれていないのです。むしろミディアムローストのアメリカンの方がカフェイン量が多くなっています。

日本に伝わったのはいつごろ?

日本にコーヒーが伝わったのは?

アラビアからヨーロッパに広がったコーヒーですが、日本にはいつごろ伝わったのでしょうか。コーヒーの伝来には諸説ありますが、有力なのは江戸時代に長崎の出島にオランダ商人が持ち込んだ、という説です。

「コヲヒ豆一箱。チョクラート」

史実では1797年、「長崎寄合町諸事書上控」の中で、長崎の遊女がもらったもののひとつとして「コヲヒ豆一箱。チョクラート」という文章の中で記されているのが最初とされています。また、1782年に訳された「万国管窺」という本の中でも「阿蘭陀の常に服するコッヒーと云ふものは形豆の如くなれどもじつは木の実なり」、1783年の「紅毛本草」の中でもコーヒーが万病に効く薬だと記されています。
さらに、江戸末期に医者としてやってきたシーボルトも「日本人がコーヒーを飲まないのはすすめ方が悪いからだ。コーヒーが体にいいことをもっとよく説明すれば飲むようになるだろう」と語った、と言われているので江戸時代末期には日本に存在していたと想定することができます。

日本初の本格喫茶店「可否茶館」

文明開化に花開いた明治時代になると東京には西洋御料理店なるものが誕生し、メニューにもコーヒーが加えられるようになったのです。そして、1888年4月13日、東京の下谷黒門町に「可否茶館」という名前の本格喫茶店がオープンしました。可否茶館では一銭五厘でコーヒーを提供していましたが残念ながら3年ほどで閉店してしまいました。ですが、一般庶民も利用できる喫茶店を開業した創設者の鄭氏の功績は日本コーヒー史に大きく刻まれています。

コーヒー文化の幕開け

コーヒーを提供する店は明治の中頃から少しずつ増えてきましたが、明治の末頃になると「カフェー・プランタン」や「カフェー・ライオン」など大衆向けの店もオープンするようになりました。その中でも「カフェ・パウリスタ」というブラジルコーヒーの販路拡大とPRのためにオープンした喫茶店はコーヒーの大衆化に最も貢献した、といわれています。
明治41年には日本人もブラジルへ移住してコーヒー農園で働くようになりましたが、その見返りとして無償で提供されたコーヒー豆を低価格で提供した「パウリスタ」は最盛期には20数店舗にまでなりました。その店舗のひとつで働いていたのが、日本のコーヒー製造業の草分け的存在であるキーコーヒーの創設者、柴田文次です。コーヒー事業に大きな可能性を見出した柴田は大正9年、横浜市に「コーヒー商 木村商店」をオープンし、日本にコーヒーを普及させるためにコーヒーの製造や販売だけでなく、世界のコーヒーやコーヒー器具を紹介したりコーヒーシロップなどの新しい商品を開発したりなど、コーヒー文化の発展に大きく貢献しました。

コーヒーはいつから飲まれていた?

どうやってコーヒーに気づいたのか?

「コーヒーは毎日の生活に欠かせない」という人も多いことでしょう。今や日常生活の一部として生活に浸透しているコーヒーですが、もともとは野生の木でした。その野生の木にどうやって気づき、飲むようになったのでしょうか。コーヒーにまつわるエピソードはたくさんありますが、その中でも有名な2説を紹介していきます。

「シーク・オマールの伝説」

イスラム教の聖職者、シーク・オマールは疫病が流行っているモカという街を訪れて祈祷を捧げながら多くの人の病気を癒していました。ある時、その町の王の娘が病気になったためオマールが祈りを捧げて癒したのですが、オマールはその娘に恋をしてしまい、オウサブという街に追放されてしまったのです。
洞窟で暮らしていたため食べることも満足にできなかったオマールですが、ある日美しい羽根を持った小鳥が木に止まってさえずるのを見ました。その鳴き声に思わず手を伸ばしたらその木には赤い実がついており、空腹だったためその赤い実を口にしてみたところ、あまりに美味しかったので洞窟に持ち帰ってスープを作りました。できあがったスープは素晴らしく香りがよく、飲んでみるとたちまち爽快な気分になったのです。
その後、この不思議な飲み物の噂が街にも伝わりオマールは戻ることが許されたのですが、この不思議な飲み物こそが「コーヒー」だったのです。

「カルディの伝説」

エチオピアの草原で放牧生活をしていたアラビア人のカルディが、飼っているヤギが楽しそうに飛んだり跳ねたりしているため何事かと調べてみると、あたりに茂っている木になっている真っ赤な実を食べていることが分かりました。そこで、試しに自分でもこの赤い実を食べてみたところ気分が爽快になったので、カルディもヤギと一緒にこの実を毎日食べて働くようになりました。
ある時通りかかったイスラム教の僧侶たちが、カルディが元気に働く姿を見てその源である赤い実に興味を持ち、僧院に持ち帰って仲間の僧侶たちと食べたみたところ、眠気が取れて爽やかな気分になったのです。それ以来、赤い実の不思議な魅力にすっかり取りつかれ、魔法の実として重宝されるようになったのですが、この実こそが「コーヒーの実」だったのです。

コーヒーが普及するようになったのは

このように、はじめは僧侶の眠気覚ましの妙薬としてコーヒーは広まりました。はじめは実をつぶして脂と混ぜて団子として食べていましたが、その後、実だけでなく葉も一緒に煮込んで煮汁を飲むようになり、さらに、実の皮と種子を天日で乾かして使うようになりました。今のように種子を煎って粉にして使うようになったのは13世紀頃だといわれています。
アラビアからイスラム教全土へ広まったコーヒーですが、1510年頃にカイロに世界初のコーヒー店が、1554年にトルコのコンスタンティノープルに「カヴェー・カネス」という有名なコーヒー店ができました。この当時、トルコではコーヒー豆を煎ってそれを石臼で挽いて煮出して飲むのが一般的でした。
その後、トルコ人の貿易商ダニエル・エドワードが1652年にコーヒー店をロンドンにオープンさせたのをきっかけにヨーロッパにもコーヒーが広まり、わずか10年の間2000軒ものコーヒー店がオープンしました。