コーヒーが日本に伝わったのは何時代?

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日本に伝わったのはいつごろ?

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日本にコーヒーが伝わったのは?

アラビアからヨーロッパに広がったコーヒーですが、日本にはいつごろ伝わったのでしょうか。コーヒーの伝来には諸説ありますが、有力なのは江戸時代に長崎の出島にオランダ商人が持ち込んだ、という説です。

「コヲヒ豆一箱。チョクラート」

史実では1797年、「長崎寄合町諸事書上控」の中で、長崎の遊女がもらったもののひとつとして「コヲヒ豆一箱。チョクラート」という文章の中で記されているのが最初とされています。また、1782年に訳された「万国管窺」という本の中でも「阿蘭陀の常に服するコッヒーと云ふものは形豆の如くなれどもじつは木の実なり」、1783年の「紅毛本草」の中でもコーヒーが万病に効く薬だと記されています。
さらに、江戸末期に医者としてやってきたシーボルトも「日本人がコーヒーを飲まないのはすすめ方が悪いからだ。コーヒーが体にいいことをもっとよく説明すれば飲むようになるだろう」と語った、と言われているので江戸時代末期には日本に存在していたと想定することができます。

日本初の本格喫茶店「可否茶館」

文明開化に花開いた明治時代になると東京には西洋御料理店なるものが誕生し、メニューにもコーヒーが加えられるようになったのです。そして、1888年4月13日、東京の下谷黒門町に「可否茶館」という名前の本格喫茶店がオープンしました。可否茶館では一銭五厘でコーヒーを提供していましたが残念ながら3年ほどで閉店してしまいました。ですが、一般庶民も利用できる喫茶店を開業した創設者の鄭氏の功績は日本コーヒー史に大きく刻まれています。

コーヒー文化の幕開け

コーヒーを提供する店は明治の中頃から少しずつ増えてきましたが、明治の末頃になると「カフェー・プランタン」や「カフェー・ライオン」など大衆向けの店もオープンするようになりました。その中でも「カフェ・パウリスタ」というブラジルコーヒーの販路拡大とPRのためにオープンした喫茶店はコーヒーの大衆化に最も貢献した、といわれています。
明治41年には日本人もブラジルへ移住してコーヒー農園で働くようになりましたが、その見返りとして無償で提供されたコーヒー豆を低価格で提供した「パウリスタ」は最盛期には20数店舗にまでなりました。その店舗のひとつで働いていたのが、日本のコーヒー製造業の草分け的存在であるキーコーヒーの創設者、柴田文次です。コーヒー事業に大きな可能性を見出した柴田は大正9年、横浜市に「コーヒー商 木村商店」をオープンし、日本にコーヒーを普及させるためにコーヒーの製造や販売だけでなく、世界のコーヒーやコーヒー器具を紹介したりコーヒーシロップなどの新しい商品を開発したりなど、コーヒー文化の発展に大きく貢献しました。

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